『十二国記』についてしろうさになりの考察 その2

 『十二国記』シリーズと小野主上の考察をしようと思い立ったのは、『ゲームマシンはデイジーデイジーの歌をうたうか』(以下『デイジーデイジー』)が手に入ったのがきっかけ。このエッセイ(?)を読んでいくと、十二シリーズに出てきた名言とか考え方と同じことが書かれていたりする。というわけで、シリーズと『デイジーデイジー』を照らし合わせていく。

  ▼大本の大本
 そもそも『十二国記』の世界。これはまさに、建国シミュレーションだ。建国シミュレーションといえば(国じゃないけど)、「シム・シティ」。ゲームをやらない私でも、名前は聞いたことがあった。主上がこのゲームをしていたのは95年あたりらしい。シム・シティについて書かれているのが95年8月4日号なのだ。そしてシムシティ2000が発売されたのが95年5月26日(前作は90年)。小野主上がプレイしていたのが、初作の「シム・シティ」(現在はこの名前にクラシックとつけるらしい)なのかシム・シティ2000なのかはよくわからない。主上はスーパーファミコンでプレイされており、後者だと要領がいっぱいいっぱいでだいぶ動きが遅く、「クソゲー」(駄目なゲームということ)扱いだったそうだ(Wikipediaより)。なぜ最初に2000の方を私が記しているのかというと、『デイジーデイジー』のシム・シティのページに載っている写真がこちらなのである。さらに、なぜどっちなのかにこだわっているのかというと、『魔性の子』が刊行されたのが、91年だからだ。十二世界の歴史的経過などはこの『魔性〜』のプロット作りの時点で構想があったようであるから、「シム・シティ」がシリーズに影響を与えたかどうかということに関して、2000の方だとあまり関係が無いのかもしれないということになる。