『十二国記』についてしろうさになりの考察 その1

☆文章内では、作品名を略しています。略している物は『○○〜』、TH=ティーンズハート、WH=ホワイトハートとなっています。ご了承下さい。
☆参考資料:ネット:Wikipedia三軒堂常世館
      :本:十二国記シリーズ(『魔性の子』含む)、『ゲームマシンはデイジーデイジーの歌をうたうか』、『ダ・ヴィンチ』2003年7月号

 私は本を考察するにはまず作者から、と考える。そこで、十二国記シリーズの作者である小野不由美女史(以下小野主上もしくは主上)の自身もしくは著作から見ていきたいと思う。

背景≫
  小野不由美(おの ふゆみ)
 本名は内田不由美。旧姓が小野だというから、PNは本名のままのようだ。
 1960年12月24日生まれ(ダンナさんと1日違いだなんて…)の山羊座O型。大分県中津市出身(でもしゃべりは関西形らしい)。京都市の大谷大学文学部仏教学科卒業。インド仏教専攻。
 ちなみにサークルは京都大学の推理小説研究会で、旦那様の綾辻行人さんとはそこで出会われた。ここはゲーマーつながりでもあるらしい。更にちなみにだが、かの宮部みゆき女史は綾辻氏からゲームを勧められ、感染したらしい。繋がりが…(笑)

趣味について≫
 1989年当時は、『悪霊なんかこわくない』で「趣味は漫画とアニメ。中津南高校在学中は、アニメーション&漫画研究部初代会長を務めた。ほかにも、コンピューター、バレエ、歌舞伎、プロレスと、多彩な趣味を持つ。」とある。
 コンピューターは、'92年の時点でたっぷりご利用なさっている。’96年のチャットによる対談では、どちらかというと聞く派。(笑)や顔文字をよく使われている。文章では「とほほ」をよく使われる。
 また、音楽では、'94年の12月時点では、クレイジー・キャッツのファンだそうだ。その文に続いて、青島氏(幸男の方ね)を人生の師として仰いでいるとも書かれていたのでついでに(失礼)書いておく。

性格について≫
 まず、「おもしろい人」だと思う。著作の中でも珍しいエッセイ、『ゲームマシンはデイジーデイジーの歌をうたうか』では、小野主上の本性性格が(作っていないと仮定して)読み取れる。あとは著作の後書きだろうか。その他の作品からも、エンターテイナーな人であることがよくわかる。特に乙女心をよくご存知だ。キャラ作りに関しても、エピソードに関しても「あぁ、これは少女たちの大好物だな」というネタを盛り込んでこられる。もちろん私もそれに釣られちゃってるんだけども(笑)
 幼い頃から読書家である主上は、あまり知られていないようだが、ゲーマーでもある。私も『ゲームマシンは〜』を読んで驚いた口だ。どうやら設計士のお父上がゲーム好きで、それに感化されてお母上までゲーム好き。更にはご兄弟(たぶん弟さん)まで夫婦そろってのゲーム好きらしい。これはもはや血筋だ(笑)主上は甥っ子くんまでゲームに引っ張り込み、楽しんでいらっしゃる。そしてそのゲームに関してはとっても大人気ない。その甥っ子くんを「ついつい」負かしてしまう(笑)本が好きでゲームが好き。ネットも好きで……と、なるほどエンターテイナーにもなろうという要素がいっぱいだ。
 もちろん、エンターテイナーになる要素はゲームだけじゃない。ホラーやミステリー作家として名高い主上であるが、実は超常現象の類はことごとく信じてらっしゃらないという。死後の世界やUFOもそうであるとのことである。「一応少女に夢を売るのが商売である」(『ゲームマシンは〜』P33より)という文句を、何度か目にする。小野主上はプロ作家であらせられる。たとえ幽霊を全く信じていなくても超能力を毛ほども信じていなくとも作品に盛り込まれる。それは、お客である読者のためだ。ちなみにこの「信じていない」発言(といっても書いてあるのだけど)は92年。主にTHで活動してきた後のもの。10代の、それもおそらく前半あたりの少女たち向けの話を書いてきたはずである。小野主上は本も漫画も読むしアニメも見る。そしてゲームもやる。そしてプロ意識を加味させると、主上がエンターテイナーになるのは必然だろう。
 背格好について≫
 「ちび太」であるらしい。ゲームセンターのドライビングゲームでアクセルに足が届かないというから150センチあるのだろうか? という感じがする。山手線ではつり革を握るほどに届かないそうである。まさか御年30〜40代で背が伸びるということはあるまいから、今もそうなのだろう。外見ついでに言えば、『ゲームマシンは〜』の作者近影の代わりなのか、挿絵の水玉蛍丞女史がお描きになっている小野主上の似顔絵は、黒髪ストレートのロング。両耳にピアスをして、ほっそりとした美人である。

 さてさて、お次は著作紹介。※TH…Teen's heart,WH…White heart
発行年月著作名出版
1988.9『バースデイ・イブは眠れない』講談社X文庫TH
1988.12『メフィストとワルツ!』講談社X文庫TH
1989.1.5『悪霊なんかこわくない』講談社X文庫TH
1989.8『悪霊がいっぱい!?』講談社X文庫TH
1989.11『悪霊がホントにいっぱい!』講談社X文庫TH
1990.3『悪霊がいっぱいで眠れない』講談社X文庫TH
1990.7『呪われた十七歳』朝日ソノラマ
1990.9『悪霊はひとりぼっち』講談社X文庫TH
1990.11『グリーンホームの亡霊たち』朝日ソノラマ
1991.3『悪霊になりたくない!』講談社X文庫TH
1991.9.25『魔性の子』新潮社
1991.10『悪霊とよばないで』講談社X文庫TH
1992.1.24
(〜'96.1.5)
『The スーパーファミコン』(連載)ソフトバンク
1992.6.20『月の影影の海 上』講談社X文庫WH
1992.7.20『月の影影の海 下』講談社X文庫WH
1992.9『悪霊だってヘイキ! 上』講談社X文庫TH
1992.10『悪霊だってヘイキ! 下』講談社X文庫TH
1993.3.20『風の海迷宮の岸 上』講談社X文庫WH
1993.4.20『風の海迷宮の岸 下』講談社X文庫WH
1994.3『悪霊の棲む家 ゴースト・ハント 上』講談社X文庫WH
1994.4『東亰異聞』新潮社
1994.4『悪霊の棲む家 ゴースト・ハント 下』講談社X文庫WH
1994.6.5『東の海神西の蒼海』講談社X文庫WH
1994.8.5『風の万里黎明の空 上』講談社X文庫WH
1994.9.5『風の万里黎明の空 下』講談社X文庫WH
1995.4『過ぎる十七の春』講談社X文庫WH
1996.2.5『図南の翼』講談社X文庫WH
1996.3.22『ゲームマシンはデイジーデイジーの歌をうたうか』ソフトバンク
1997.6『緑の我が家』講談社X文庫WH
1997.6『漂白』講談社X文庫CDシリーズ
1998.9『屍鬼 上巻』新潮社
1998.9『屍鬼 下巻』新潮社
1999.7『ホラーを書く!』(「S・キングの呪縛を破って」)ビレッジセンター出版局
2001.2『黒祠の島』祥伝社
2001.5『黄昏の岸暁の天 上』講談社X文庫WH
2001.5『黄昏の岸暁の天 下』講談社X文庫WH
2001.9.5『華胥の幽夢』講談社X文庫WH
2003.7.31『くらのかみ』講談社
2004.7.18『幽』Vol.1(「鬼談草子」)メディアファクトリー
2005.1.10『幽』Vol.2(「鬼談草紙」)メディアファクトリー
2005.7.24『幽』Vol.3(「鬼談草子」)メディアファクトリー
2005.12『幽』Vol.4(「鬼談草紙」)メディアファクトリー
  27歳でデビューされてから、淡々と書くというよりも波があるもよう。ミレニアムを迎えるまで、毎年のように出版なさっている。最高は94年の6冊。といっても、他にもコメントや解説などなど書かれているため、それも入れるとまた変わってくるかとは思うが。95年からは静けさを保っている。これは98年の大作、『屍鬼』のためだろうか。十二ファンにとっては暗黒の5年間なわけだが(笑 漂白は文庫の形で出版されていないため除く)ちなみに、暗黒の5年間に終止符を打った『黄昏〜』は2001年。これから5年が今年(2006年)。こ、今年、出ないかなぁ。出るとしたら夏だろうか(カン)。
 私は、てっきり悪霊シリーズを終えてから十二国記シリーズに入ったのかと思っていた。が、悪霊が最終章に突入する前に12が始まっている。さすがプロというか、一つのシリーズの最中に他作品も書かれるんだな〜。
 全作読んでいるわけではないのだが、小野主上の作風はホラーとかミステリーかな。ファンタジーも入れておこう。非常にストイックで、恋愛の差し挟む隙を作らない。悪霊シリーズあたりはその中でも例外。ティーンズハートが少女恋愛カラーなので入れています、という感じがする。悪霊シリーズがホワイトハートになった途端に恋愛色がなくなったことでよくわかる。更に、何度も引用に出すが、『ゲームマシンは〜』にもそんな面がよく出ている。ゲーム「かまいたちの夜」をプレイしていた小野主上は、冒頭でロマンチックなムード漂う中、ゲーム内の彼女に毎度毎度「ガチョーン」とギャグをかましてしまう、とある。そのゲーム、推理モノで、いくつかの選択肢が出てくる。その選択によってストーリーが変わるらしい。「ガチョーン」の場面でも恋人に言う台詞で「きれいだよ」「君の瞳に乾杯」「セクシーだよ」「ガチョーン」の4つが用意されている。この場面になると、「ひとり赤面、いくばくかの葛藤のあとに」ガチョーンを「選んでしまう」(同書P164)のだという。つまり、恥ずかしいらしい(笑)悪霊シリーズも、結局のところ麻衣はナルのことが好きだったわけではなかったわけで(あのギャップに惚れていたわけだから)。恥ずかしくて恋愛物書かないのかな。
 さて、そろそろ十二国記シリーズの考察に行ってみる。
 十二国記シリーズだけピックアップ。↓
'91.9『魔性の子』'96.2『図南の翼』
'92.6-7『月の影影の海 上下』'97.6『漂白』
'93.3-4『風の海迷宮の岸 上下』'01.5『黄昏の岸暁の天 上下』
'94.6.5『東の海神西の蒼海』'01.9.5『華胥の幽夢』
'94.8-9『風の万里黎明の空 上下』   
 私は『魔性の子』を最後に回し、後は刊行順に読んだ。もし『月の影〜』を読む前に『風の海〜』を読んでいたら景麒の正体がわかってしまう。『東の海神〜』を読む前に『図南〜』を読んでいたら、更夜がわざわざ名乗る意味が弱くなってしまう。『風の万里黎明の空』や『黄昏の岸〜』を読む前に『月の影〜』を読んでいなければ、陽子ちゃんの漢前への道はわからない。それぞれバラバラに読めるようにはなっているが、連作として読むとおまけの楽しみがついてくるわけだ。主上はなんとエンターテイナーなのだろう。
 と、礼賛はキリが無いので置いておいて、何がやりたいのかハッキリしないので書いておこう。『十二国記』シリーズがつづられて10数年。作品というものは、作者が書いている時に何を感じたかによって、様々に方向を変えるものだ。十二シリーズは何からの影響で書かれているのかを考察していこうと思う。

Next Page










関係ないけれど管理人と十二国記との出会い。
 私は、児童文学くらいしか読まない世界の狭い人間だけれど、たまに、“表紙買い”をする ことがある。表紙の絵を見て好みだと買ってしまう、ということだ。この十二国記が、 まさにそれ。山田画伯の絵は、細かくて美しくて眼差しがあって(?)……「これは買わ ねば」と思わされるほど。H13年の1月。サークルの納会があったのでよく憶えて いる。『月影上』を買ったら次の日には下巻を買っていた。そして全巻買い揃えてびっくり。 外伝、といえばよいのかしら、『魔性の子』という小説が、山田画伯の絵で表紙を飾って いるわけだけれど、私がまだ高校生だった頃、その本を見て、『この絵、いいなぁ』と、手に 取ったことがあったのだ。ただ、ホラーっぽかったので買わなかったのだけど…。(怖いの とかグロイ小説は苦手なんですね。マンガは平気なのに←なぜ?)これは運命を感じたね☆ (オイ)

 そして、現在も繰り返し読みふけってしまう……。
 ストーリーとしましては、主人公・中嶋陽子が、平平凡凡なまじめな女子高生として暮らして いたところ、突如現れたケイキという無表情の金髪兄ちゃんに連れ去られ、異世界に行ってしま います。しかしケイキの目的地に着く前にはぐれて…。そこから彼女の独り(ある意味もう一匹) 旅が始まります。童話物語並みかそれ以上の可哀そうな目にあいます。ですから、涙もひとしお なのですね。第一巻である『月の影 影の海』はそんな感じ。

 ぜんぶで7作品、11冊(『魔性の子』もいれれば12冊)ありますが、主人公が一定ではありません。 基本的には陽子ちゃんですが、だと思う、と言いたくなります。なので、『十二国記』のストーリーを 説明せよ、といわれても、簡単には言い表せないのです。全体を通して言えることは、人生の教訓、 心善い人間になるための心持を教えてくれる本だということでしょう。
 主人公が一定ではないため、様々な考えを持つ人間を無理なく描くことができています。

 そして様々な境遇、国の人物を出すことによって、おそらくは、この十二国の世界観や制度を読者に 把握させることができるのではないかと思われます。
 作品によって国が違うということもありますが、根底にテーマとは別に、「基礎知識」と言えばよいの でしょうか、そういったものが一作品に幾つかづつ入っていると感じます。例えば、『風の海 迷宮の 岸』では、蓬山のこと。そして、麒麟のこと。それに、天勅のこともありますね。『東の海神 西の滄 海』では、官のこと。位やら名称やら。etc...。全部読めば、十二国の世界がわかる、といった具合で しょうか。十二国に住んでいるような感覚に浸れます。

 『十二国記』はキャラクターが本当にステキ人物ばかりですね。だからこそこの人気、とも言え るのではないでしょうか。この世界には国が12あるわけですが、その一国一国の王さまが、まず おもしろいですからね。12人すべて出てきているわけではありませんが、女子高生に(バカ)殿に マイホームパパ。おばあちゃんにオカマに幼女。あとは農夫と軍人さん、とそろっております。
もちろん一国に一匹いる麒麟という神獣や、王の臣下である人々も魅力たっぷり。